「お寺」もしくは「寺院」。おてらぼで言うところのお寺とは日本の仏教寺院になります(以下お寺)。日本各地に存在するお寺は、十三宗五十六派と数多くの様々な宗派が存在します。主に近隣在住の檀家と呼ばれる信者を抱え、墓地を保有・管理している事が多い(檀那寺)。これら小規模なお寺は、神社と異なり檀家以外には門を閉ざしている場合が一般的。これは他国には見られない日本独特の形態であり、神道が「死」を忌むという観念(穢れ)の違いから一種の棲み分けが進んだ結果、ふらっと入りにくいお寺も多い…入ろうものなら不審者扱いなんて少なくない(笑)。しかし、わかりやすく例えれば奈良や京都等にある有名なお寺は、信仰や観光の対象として広範囲に参拝客を集めつつも、観光地としてのステータスも高い。一概にお寺と言っても入るまでの難易度は様々です。神仏習合の影響により神宮寺や、仏教の仏も祀る(正確には同一視、本地仏)とされる権現(熊野権現・山王権現など)の存在もあり祈願対象としてのお寺・神社の境はやや曖昧であり、神社仏閣などと言う事も最近では多く聞くようになった。そこがお寺と神社の違いを一般の方がわかりにくい理由の一つとも言える。
長野善光寺の本堂前にある「南無阿弥陀仏」と刻まれている香炉。古くから長野県は彌陀の国と言われて阿弥陀信仰が根強く浸透しており、長野県では数多くの阿弥陀如来・阿弥陀信仰を見ることが出来ます。善光寺の場合は檀家のみならず、観光者も多く、宗派も浄土宗と天台宗の二宗派が属しています。南無阿弥陀仏とは、「阿弥陀如来様に帰依します」という意味で阿弥陀信仰の合言葉とも言えるでしょう。地元の人に愛されて、守られて、語り継がれて…悠久の時間を紡いできた善光寺しかり、全国のお寺には長い時間を生き続けてきただけの確かなものがあります。善光寺といえば上杉謙信が手に入れたかったお寺でも有名ですね。「第一義」を掲げる真の漢、上杉謙信の様な人も憧れるお寺は凄くカッコイイ。言わば漢のステータス。(あくまで仏教の施設ですが…)
善光寺で言えば「善光寺式阿弥陀三尊像」がありますが、地元の人々のアイドルなわけです。(アイドルの語源はラテン語で意味は「偶像」)善光寺式阿弥陀三尊像は三人のユニットですが、正に元祖会いに行けるアイドル「会えドル」なわけですね。お地蔵様等は特に身近にアイドルを置きたい願望の一つとも言えるような気がしますが、ローカルアイドルの様な感じですね。屋根と壁がついてお堂になり、更に規模が大きくなるとお寺になるといった感じでしょうか。自然と調和した御姿には流石に貫禄を感じるアイドルではありますね。
お寺は一時期人々の生活に欠かせない役割を担った時代もありました。檀家制度は今で言う戸籍制度のはしりの様な制度で、地域のお寺が人々の生活を管理していた時代でもありました。神仏習合により神社とお寺の融合が行われたり、明治維新時の神仏分離・廃仏毀釈でお寺が衰退したりと、悲しいかな現在は以前のようなお寺のポジションではなくなってしまったのです。
しかし、独自の進化を遂げた日本の仏教も新しい時代を迎えようとしています。信仰者や観光客にパワースポットとも言われたり、仏像ブームだったり再び人々の注目を集め始めた今、「葬式仏教」とも言われてしまった仏教やお寺の本質を学ぶべき時期に来ているような気がします。兎に角楽しく学んで身になる知識を得ましょう。